養護施設の子供とともに詩を書く キム・シンスク

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カルチャーデザイナーインタビュ―詩人、キム・シンスク
記事ヘッドライン:養護施設と低所得層の子供に詩を教える 詩人キム・シンスク



私たちは、児童・青少年期を明るくて楽しい時期として表現する。「花のような時期」という言葉を使ったり「一番楽しい時」とも言うが、その時期の子供たちには分からない。振り返ってみれば、私たちにとってもあまり楽しい時期ではなかった。私は誰か、世の中は何なのか、私は将来何になるのか。答えのない質問に苦しんだ時期だ。
ここに、養護施設や地域児童センターで低所得層の子供たちに詩の授業をしている詩人がいる。子供たちに詩を教えながら、美しくも厳しい時期をともに歩む詩人、キム・シンスクさんを訪ねた。
子供たちに関心を持つようになった理由は何ですか。
私は、家族に「子守り」と呼ばれるほど、小さい頃から子供が好きでした。社会的な関心から子供たちと接するようになったのは、大学生の時、エデュソフィアというサークルを作ってからでした。私は済州大学哲学科の1期生です。済州大学哲学科の一番古い先輩になりますよね。当時、哲学科の教授は情熱的で、学科の学生たちに多様な経験をさせました。そのおかげで、小学校と中学校で「哲学教育」というタイトルを掲げ、教育ボランティアのような活動をしました。大学の友達とどうすれば楽しく、子供たちと遊びながら学べるか、工夫しながら授業の準備をしました。その経験が子供と詩の授業をする活動につながったと思います。30を過ぎても間違った社会の批判ばかりする大人は、問題があります。30を過ぎてから、間違った社会を変えなければという覚悟のようなものができました。それを守るために、教育ボランティアをしています。詩も日ごろから書いてないと、文章一つ書くのも難しく、自己表現ができない、つまりパソコン音痴のように自己音痴になる可能性があります。自己音痴、自分の考えが読み取れない自己音痴。言葉がおかしいですか。
なぜ詩なのですか。

 


子供たちは、知っていることを書くより、経験したことを書くときに楽しく書き、文章もしっかりすることが分かりました。でも、地域児童センターの子供たちとは、屋外授業などの時間がかかる経験はできません。授業時間が短いため、子供たちの感情を刺激する本をたくさん読み聞かせて、様々な活動を試みています。その中で詩を書くのが一番適切な活動だと思います。自分の考えを彫琢しながら文章を作ることで、子供たちは、楽しみを感じます。詩も一つの芸術作品なので、書いて、友達と一緒に読みながら鑑賞すれば、満足してやりがいを感じるのです。長い文章は発表に時間がかかるので、朗読できませんが、詩は短いため、自分が書いて自分の声で朗読するだけでなく、授業に参加する学生が全員発表できる、とてもいい形式です。私が詩人なので詩を偏愛しているように見えるかもしれませんが、詩は人間の感覚器官を芸術作品にしてくれる形式だと思います。例えば、とても美しい夕日を見て芸術にしたいと思ったとき、音楽は笛のような簡単な楽器でも持っていなければ演奏できません。絵も同じです。でも、詩は違います。その風景を眺めながら、自分の思いを短い文章にして心に刻むことができます。詩的に考えるということは、自分自身が積極的に自分に反応しながら生き、自分を積極的に省察するという意味だと思います。

 


例えば、「りんごの種のような雨が降った」や「クジラがおかえりと花火のような潮を吹いてくれる」という文章は、子供たちが自然や動物を見ながら、その場で作った素晴らしい童詩だと思います。こんな観察ができる子供は、りんご一切れでも大切に食べ、歓迎してくれるクジラの心が読める大人になるでしょう。
子供と詩を書くことは、楽器が弾けなくても、音符が読めなくても、紙一枚買うお金がなくても、日常の生活を美的な芸術の世界へ導いてあげることと同じだと思います。詩や詩的に考えるというのは、自分の日常を積極的に感じることだと思います。他人のではなく、自分の日常をです。詩を書くことを通して、自分の日常をしっかりと感じながら自己音痴ではなく、自分が自分自身の中心になる子供になるように教えてあげたいです。
本人の紹介をお願いします。

 


小学校5年の時、偶然手にしたハン・ハウンの詩集を読んでずいぶん泣きました。その前は、古本屋で読んだユン・ドンジュの「自画像」という詩がとても良くて、それを書き写して夏休みの宿題にしたこともありました。誰もが知っている有名な詩だとは知らずに、大胆にも「井戸の中には一人の少女がいる」と、有名なフレーズを真似て書いたんですよ。中学校と高校は文芸部、大学でも文学サークルで活動しました。今思えば、10年近くを文学少女として過ごしたんですね。学校でも先生に「最近、どんな本を読んでいるの」とすれ違いざまによく聞かれました。
選考が哲学だったので、人文学の本もたくさん読みましたが、風邪を引いたときに風邪薬のように詩集を読み、失恋したときにも詩集を読みました。恋人ができたときには、良い詩を筆写して手紙を書きました。先にも言いましたが、詩は私を楽器にしてくれます。

 


でも、父が早く亡くなったので、仕事に就きました。10年間、詩を書かずに働きました。仕事はうまくいきましたが、私は次第に病んでいきました。幸いにも、学生の頃に詩をも心で愛したせいか、詩をとても愛する男性に出会い、再び詩を書き始めたのです。34歳で詩を書こうとすると、詩を書かなかった10年間の悲しい出来事、身近で起きた友達の死、知り合いの死や病気、知らない人であっても悲しく感じたことなどが、私の心に押し寄せてきました。
詩人として私は道を歩きます。今日もダンボールを集めるおばあさんが見える道を歩きます。胸に研いだ鎌のように光る月が昇ります。70を過ぎた母は、宵から布団の上で体を丸めています。50年余り働いた海女ですが、今は済州の方言で「トングン」と呼ばれる、潜れないおばあさんになりました。母の姿は鼓膜のようです。鼓膜を実際に見たことはありませんが、母の姿は鼓膜のように見えます。その姿を見ながら、どんな世界とどんな世界の境界にある鼓膜なのかを考えます。ときには母の隣に横たわって、母の子宮と私の子宮を想像し、それを表現できる文章を探します。そして書きます、詩を。

 

記事作成日時:2016年10月12日(取材日時:2016年10月2日)
カルチャーリポーター:キム・ウンジョン