[インタビュー] 『茨木ふるさとの森林つくり隊』の天保好博さん

덴포 얼굴사진

森林生態学の研究経歴を土台に、ボランティア活動で多様な環境問題について実践的な方向を提示する


 

里山、竹林に関する長年の環境保護ボランティアの経験を、地域の大学での里山づくりを通して若い世代に継承し、老若男女の市民が共に自然の恵みを実感し、それを保護する運動に関わる時代を理想として、地道に活動する人たち

 

──どんな活動をなさっておられますか

里山・竹林整備のグループ(現在は28名)で「茨木ふるさとの森林(もり)つくり隊」というボランティア活動を、毎月2回、続けています。現在は4軒の個人所有林を任されて、その間伐、枝打ちなどの活動をしています。当日は村の人々に迷惑にならないように、車の数をできる限り減らし、乗り合いで4台から5台に限定して現場に向かい、午前中2時間、午後2時間ほど汗を流します。昼食は弁当持参です。高齢化が深刻ということもあって、それくらいの時間が限度なのです。枝打ちなどをすると、直ちに森の中に光が差し込むなど風景が劇的に変わって、毎回、すごくやりがいがあります。

 

──どういうきっかけでそのような活動をされるようになったのでしょうか

1994年に当時会員だった茨木青年会議所で自分が企画して事業を立ち上げました。その後40歳で会議所を卒業してからは、会議所とは関係なくその実践を継続するようになりました。当時は全国的に森林ボランティ活動が少し話題になりはじめていたのに、茨木にはその種の活動がなかったので、自分が言い出しっぺで始めたのです。市教委の野外活動センターの山開きの日(春分の日)のイベントに青年会議所として参画し、参加した人に手紙で呼びかけたのが8月、10名ほどの参加希望の返事があったのが9月、そして10月に始めました。ノウハウもなく、まともな準備もなく、森林組合長が都市農村交流事業を希望していたこともあって、そのサポートを受けました。地域の子供が山で遊ばなくなっていて、都市の家族が山に来れば、土地の子供たちもそれを見て山の魅力を発見するかもしれないとの考えだったようです。ともかく、入ることを許された山で、初回の活動は枝打ちでした。今から考えると、何も知らない素人(自分だけは大学時代に実習経験がありましたが、それ以外の人は全くのド素人でした)だけで、無謀なことをよくもやったものだと怖くなるほどです。当時36歳、今が59歳ですから20年以上も続けていることになります。当時は私と同年代の一流会社のサラリーマンたちが多く、子供連れで参加したりもしていました。

しかし、その後、バブルがはじけて、その人たちの仕事はすごく厳しくなったりして参加できなくなりました。最初の頃のメンバーは誰一人残っていません。

その後、一時はメンバーが60名ほどに膨れ上がりましたが、その後は、会社の定年が一般に63歳、65歳へと長くなったせいか、新規の参入者が少なくなり、全体としての高齢化が著しく進んでいます。現在のメンバー28名の内、80代が5名もいます。

20余年の間にはいろいろ問題も生じました。地元から山に入ることを拒否されたり、内部分裂なども経て、現在に至っています。とりわけ、10年前くらい、ちょうど私たちの会が内部的にゴタゴタしていた頃のことですが、行政が森林ボランティアの養成セミナーを恒常的に行い始め、そのセミナーの修了生の受け皿として、その同窓会的な団体を新たに組織するようになりました。そこにはヘルメットなどの必需品のサポートもするなどもあって、その団体のメンバーが現在200名にも膨れ上がっています(実働部隊は自分たちの団体と人数はたいして変わりません)。

同じ頃にできた「里山センター」の業務委託を受ける「里山サポートネット茨木」という組織も行政主導で作られ、自分はその初代事務局長をするなど関わっています。4つの里山関連のボランティア団体、炭焼きクラブ、そして棚田保存の会、そして自治会などで結成されていて、今年には私が顧問をしている「立命館大学育てる里山プロジェクト」も新たにそのネットに加わりました。

──達成感があったことを挙げていただけませんか

毎回、達成感があります。整備が十分になされていない森林に入って、枝打ちをすると、いきなりその中に光が入ってきて、見事に世界が変わります。この種の作業はセラピーとしても注目されているほどです。環境破壊に対して、ささやかでも自分たちのできることを実際にやってみて、むしろ自分たちが癒されるのですから、面白いものです。

 

──なさっている活動の特徴を挙げるとすればどのようなことでしょうか

私たちは、人工林の整備に優先的に関わっています。自然林はそのまま放置しても生命力を持っていますが、人工林は間伐したり、倒木処理をするなど人間が手を入れないと、崩壊します。人工林とはそういうものなのです。所有者も自然林よりも人工林のほうに愛着があるのではないでしょうか。自分の祖先が自分たちの手で、育ててきた森林だから、自分たちもそれを受け継ぐべきだと思うようです。ところが、自分たちだけでは手入れはできないのが現状です。もうその種の森林を産業化することはほとんど無理なので、私たちのような団体がその森林の荒廃を食い止めることを喜んでくれるのです。

もう一つ、わたしたちの会は植林はしません。植林は一回限りではすまなくて、事前の地ごしらえ、植林後の下草刈りなど同じ林に何度も通い、長期間、保護育成をする必要があるのに、私たちにはそれは無理だからです。マンパワーの不足しがちな現代では、既存の手入れ不足の林に優先的に関わる方が、広い面積の整備ができると思っています(企業などが一種の売名行為的に植林活動をしたりするのですが、その植林をするために森林を潰し、植林後の世話も必要なほどにはしないという悪い例も知っています)。私たちは可能な範囲で、現在ある人工林の荒廃を食い止めることを目標にしています。

──人々にに伝えたいメッセージのようなことはありませんか

森林は都市を活かしてくれているのです。そのことを都市の人々は忘れていて、災害が起こって、初めてそのことに気づくわけです。

私たちが暮らす茨木の森は滋賀県から兵庫県に至る広大な森の一部であり、そこには開発事業が集中し、その森が破壊されかねません。それを食い止めないと、環境は著しく被害を被ることになります。

山の森林があるから、良質の水の供給が可能で、水害を防ぐこともできるのに、その森林が荒廃すれば、自然の猛威を食い止める術はなくなります。

私たちのボランティ活動は、そうしたことを山に入るたびに肌身で感じ、そして森林の恵みを受けて、自分たちが蘇生するような喜びを得ています。こうした活動が少しずつでも広がることを願っています。

 

──最後「立命館大学育てる里山プロジェクトについてそこにしい可能性などがありますか。楽しそうな印象つのですがえをおかせいただけませんか

立命館大学大阪いばらきキャンパスはJR茨木駅の直近にあり、茨木市の都市部の住人にとっても非常にアクセスしやすい立地です。キャンパスを自生する樹木で緑化したいという大学人の思いと、新名神高速道路の建設工事で消える里山林から、少しでも救出したいという森林ボランティアの思いが結びついて始まった活動です。

キャンパスに設けられた「育てる里山」は、謂わば北部の森林地域の「パイロットショップ」的な役割を期待しています。

キャンパスの「里山」の手入れを通して山の樹木に親しんだ市民が、本物の森林のある北部地域に足を伸ばすようになり、見るだけではなく、保育作業等の実践活動に参加するようなきっかけ作りができて、北部地域への愛着、関心の深い市民が増えることを期待しています。


天保好博氏

茨木ふるさとの森林(もり)つくり隊代表

家業である喫茶・洋菓子製造販売の傍ら、里山森林ボランティア、安威川ダムファンづくり会、立命館大学育てる里山プロジェクト、フェアトレード推進など、森林生態学の研究経歴を土台に、ボランティア活動で多様な環境問題に実践的にかかわる。