構造的進化

Yun Meeyoung 2

伝統文化を現代の需要に合わせて、脱構築する


済州の創意工夫が満載の小アトリエと他所では見かけない独創的なアートギャラリーも、それらの共通点は何か?

それは両方ともに文化的適応の媒介になっていることである。工房もアートギャラリーも、済州島の郊外農村のミカン倉庫を利用して、済州島の過去と現在を統合するスペースへと変貌させたものなのである。

外から見る限りは、済州島の典型的な農園のようである。済州のあの有名な火山岩でできた四棟の建物も、ミカン畑に向かう散策路も何ら特別なものには見えない。しかし、よく見ると、何かが違っていることに気づくだろう。例えば、大きなガラス窓があるそれらの建物の屋根は普通のものよりも少し高い。

それはこの農園がただの農場ではなく、文化を目的に設計された空間だからだ。四棟の建物は、農場経営に必須の農機具を保管するためのものではなく、ギャラリー、図書館、カフェ、そしてゲストハウスなのである。

ジョン・ジェホ氏とキム・ジュンウォン氏は文化のディレクターなのである。彼らの話によると、それらの建物のうちでギャラリーは元来ミカン倉庫で、図書館は機械や道具などを保管する場所だった。

二人は元の所有者の要望に応じて、それらを壊して新しい建物を作るのではなく、現在のニーズに合わせて、元の建物をそのまま残して再利用することにした。ジェホ氏は、元の所有者にとってそれらの建物にまつわる一切がどれほど愛着のあるものであったのかを端的に示す例として、建物の保存を切に願った様子を語ってくれた。

建物には実用的な価値だけではなく、もっと大きな意味を備えているかも知れない。壁の中に潜んでいる現にある構造としての建築の両方こそが、文化の様相なのである。もっと具体的に言えば、それらはその場所に住んでいた人々の歴史でもあるのだ。

多くの新しいビルがその折々に一般的だったスタイルで建てられはしたが、その反面、済州の建物のほとんどは、一様に火山岩で建てられた。済州産の原材料で建てられたという事実だけでも、実に済州らしいわけである。

これらの建物の元来の所有者は今ではソウルに住んでいるが、故郷と家族、子供時代のことを実に大事に思っていて、文化を守る一つの方法として、建物をそのままに保存したいと思ったわけだ。

建物をそのままにとは言っても、ジェホ氏とジュンウォン氏がすぐさま入居できたわけではない。最初に農園に到着したときには、その建物は長年に亘って全く使われていない状態だった。古い屋根はボロボロで交換を余儀なくされた。そこで、自然光が入るように、建物を開放的に、そして広い窓を作った。

目的に合わせるためにあれこれと手を入れて現在の姿にするまでには、9カ月かかった。この建物の文化的ディレクターの二人は、韓国の他地域の文化をこの小さな田舎村に持ち込みたいと思った。ギャラリーの芸術品は大多数の人々が理解しやすいものでなくてはならないと考えて、韓国の芸術家の良く知られた現代的な作品に焦点を合わせて、この小さな田舎のギャラリーにふさわしい独特な方式で展示した。

今ある空間では小さすぎるけれども、ジェホ氏は彼のギャラリーを訪れる人々に、ソウルの大ギャラリーに足を運ぶ人々に劣らない魂の栄養分を与えたいと願っていると熱く語る。

すぐに名前が浮かぶような才能あふれた作家ではなく、既にある程度の業績を積んだ新人、中堅どころの作家たちを選ぶことによって、ジェホ氏は済州の住民と観光客の興味を惹きだすことができることを願っている。

多くの済州民の伝統的な収益源であったミカン農場の収益が減少すると、済州では頻繁に、その時々の目的に合わせて、建物を増・改築してきた。それはなるほど自然なことだろうが、その一方で、もし万一、あまりにも多くの農場の土地に新しい建築物が建てられでもしたら、済州文化の重要な部分を失うばかりか、農業がもたらしてくれる数多くの利点も失いかねない。

ジェホ氏は彼の友人のお母さんの話をしてくれた。そのお母さんは農場を利益を生み出す場所としてよりも、安定感を与えてくれ、自然と親しみ、人々が暮らしてきた方式を想起させてくれる、一種の庭園と見ていると言う。

この農園ギャラリーのようなものは済州が変化しつつあると言う事実を想起させてくれるが、そのよう最近になって現れだした新たな文化の質を決定する責任は、他ならぬ私たちにある。