海を越えろ!紙芝居

스즈키 대만공연

紙芝居師 鈴木常勝


1、 あっちこっちで笑いあう

紙芝居屋は、街頭芸で子どもたちに笑いを生み、荒唐無稽、奇想天外な話を語り、子どもたちを驚かせる。1972年に大阪で紙芝居屋を始め、今年2017年、住吉公園で「祝・紙芝居屋45周年」を子どもたち、友人と挙行!

海外放浪もまた、紙芝居屋の楽しみだ。見知らぬ街角で、行きずりの子どもと出会い、ひとときの物語世界に遊ぶ。

1972年 ポカラ(ネパール)初の海外紙芝居実演。ヒマラヤの雪解け水が泉となって湧く村の広場に乗り込む。漫画紙芝居「チョンちゃん」を大阪弁で語る。中学生くらいのガキ大将が、地元の言葉に通訳してくれて、30人ほどの子どもたちの爆笑を誘う。大阪弁の演じ手とガキ大将の地元通訳は、互いに何をしゃべっているのかは、まるっきりわからなかったけれど、「紙芝居は、子ども自らが楽しむのだ」と実感。紙芝居が終わってから見たヒマラヤ山脈の白い雪が、青空に光る。

1983年~85年 北京、上海、酒泉、トルファン、昆明、延安(中国)。紙芝居が終わると、子どもが真剣なまなざしで、「今度、いつ来るの?」と聞く。「もうこの町に来ることはないよ」とは言えず、「来れたら、来るよ」とごまかすのが、切ない。お客の最少は2人、最大は百人超え。5月の青空のもと、北京の天安門広場では、観光客を巻き込み、野次馬を観客にして、大きな輪ができた-「1984年の天安門事件じゃ!」。すぐさま警官が来て、「人を集めるな。立ち去れ」の命令。中国語が聞き取れない振りをして、そそくさと逃げる。

1988年 延吉(中国・延辺朝鮮族自治州)。中国語圏は「つたない中国語」で語り、大人、子どもを含めて、お客との直接の掛け合いが楽しい。朝鮮語でもやりたいな。

1990年 ジョホールバル(マレーシア)観光地の寺院前で、じゅうたん売りのおっちゃんが連れた幼い姉と弟が、恥ずかしそうな表情で「ブタがぶった」を二人だけで見てくれた。

1992年 バリ島(インドネシア)イスラム圏で「ブタがぶった」という、日本語ゴロ合わせの紙芝居を、大阪弁で語る。あれっ、イスラム圏ではブタは嫌われ者だった? バリ島はヒンズー教だった? 山間の町・ウブドゥの小学校の校門外で、昼休みの小学生相手。

1995年~99年 蘭嶼島(台湾・タウ族の島)地元の子ども、青年たちとすっかり意気投合。友だちになり、5年間、年に1回、島通い。レンタルバイクで島一周、各部落を巡回。キリスト教長老教会で説教師もしている、「島に持ち込まれた台湾電力の原子力発電所の放射能ゴミ撤去」運動の青年リーダー、シアマン・ヴガヤンが長老教会で礼拝に集まった住民に、「日本からタウ族の子どもたちにお話をしに来たスズキさん」と紹介してくれた。

2012年 済州島(韓国)モンゴルの友人が弾くモーリンホール(馬頭琴)、大阪・住吉発祥のかっぽれ踊り、宴会芸のプラスチック皿回しと一緒に、紙芝居も全島一周の巡回興行。李仲燮(イ・ジュンソプ)美術館の傍にある彼の生家の前庭で演奏と芸能披露。緑の木陰に爽やかな風が吹き、家族連れがゆっくりと楽しんだ。翌日、李仲燮通りの街頭舞台にも出演。けだるい夏の日中、舞台正面でおじいちゃんが居眠りしながら付き合ってくれた。

小学高学年のサマーキャンプでは、大阪に住んでいた韓国人に通訳してもらった。25歳で恋人のいない「浦島太郎」の結婚問題を織り込み語ると、子どもたちに受ける。女心にうとい「浦島」は、乙姫の恋心がわからず故郷の村に帰ってしまう。片思いの乙姫は今日も明日も「浦島」を待っている-という悲恋物語。乙姫の心情を、韓国ヒット歌謡「サランヘ」(愛してます)の歌に乗せて表現。韓国語で歌うと子どもたちはびっくり。こういう「御当地ソング」は必ず受ける。台湾では紙芝居の同じ場面で、「台湾の歌姫」テレサ・テンのヒット曲「甜蜜蜜」(蜜のように甘い恋)を歌って喜ばれた。お客もいっしょに歌えるのが、いい。韓国の子どもたちは「浦島」同様、結婚にあこがれていない様子。後に行く台湾の都会で、「若者の晩婚、非婚」を「浦島太郎」にからめて話すと、大人たちがうなずきつつ耳を傾けた。

2013年と2015年 新北(台北市の隣町)、基隆(キールン)一帯(台湾)「夢想社区」の街頭文化祭、山間の小さな小学校、養護学校の巡回実演。学校では1時間も中国語でしゃべりっぱなし。疲れたけれど、小さな小学校や養護学校の子どもたちとの出会いは、「一期一会」を実感させる。笑ってもらうのが、何より。日本から持ち込んだ丸くて薄いせんべいに、トンカツソースで「アンパンマン」や「ドラえもん」「うさぎちゃん」の絵を素早く描いて渡す。子どもの絵の好みを聞くのが、一人一人の子どもとの対話になった。

2015年 霧社(台湾)原住民セデック族の抗日蜂起の村。地元の「仁愛国民小学」の昼休み、三年生のクラスに入り、先生に許可をもらって、漫画紙芝居「チョンちゃん」を語る。先生も喜んでくれ、わざわざカメラを持って来て実演風景を写してくれた。

2016年 台南(台湾)。若者通り「神農街」の夜。「猿婿」の紙芝居を語り、この日本昔話には村人の山地人への差別-「山地人を猿と見なす」-が見え隠れしていることを大人たちに説明した。

最近読んだ武者小路実篤の社会批評「八百人の死刑」。一部、引用すると-

「自分は新聞を見てゐてふと欄外に台湾の土人が八百人程死刑になることを読んだ。ずいぶんひどいと思った。」「自分は人数の多いと云ふだけをもって非難しやうとは思はないが、数百人を死刑に処して平気でゐられる人間の顔が見たい気がする。数百人の裁判が一寸の間に完全に行はれると云うことは誰が信じられやう。其処に何かしてはならない不正なことがあるやうな気がする。恐らく土人を彼等は人間とは心底からは思ってはゐないのではないだらうか。恐ろしい気がする。」

1915年、台南と近郊のタパニで台湾漢族の最大にして最後の抗日蜂起がなされた。日本軍の徹底した台湾人弾圧に抗議するのが、武者小路の文章だ。この15年後の1930年、霧社でセデック族の抗日蜂起が起こる。「まつろわぬ者」を猿とみなして平気で殺す-のは支配者、多数派に付きまとう「いつもの手」だ。

2017年 台南(台湾)「神農街」が再び紙芝居会場を設定してくれた。城主に婚約者「玉ちゃん」を拉致された少年剣士「ゲンちゃん」の、正義を貫くチャンバラ活劇。城主を成敗した後、焼け死んだ二人は可愛い猫の姿になり、新天地を目指すのであった。その物語を我ながら熱演。「神農街」で紙芝居を見た人たちが、レトロモダンを売り物にする台南の老舗デパート「林百貨」の催し場、国立台湾文学館・児童図書室での、家族向け紙芝居実演を企画してくれた。台南を拠点に、台湾南部の小さな山地小学校の巡回公演も、数か月かけて、この秋、実行の運び。タパニ(現在の地名は、玉井)の小学校にも行くぞ。

2、旅芸人の意地と根性

 

韓国・済州島の「観徳亭」は朝鮮王朝時代の練兵場として作られ、三一抗日独立運動では、済州島一番の集会場所になったという。「観徳亭」門外の芝生広場で、モンゴル服のホトランガさん、浴衣姿の日本人たちが実演の準備をしていた。それを見た済州島の市民が、今は観光名所になっている「観徳亭」事務所に電話をしたそうだ-「日本人に神聖な抗日史跡を使わせるのは、何事だ!」と。演奏と演芸が終わってから、事務所の人がその抗議電話の内容を伝えてくれた。事前に「観徳亭」使用許可を取ってくれた地元の友人も、「そんな抗議をするなんて…」と予想外の反発が信じられないという表情だった。でも、振り返って考えてみれば、モンゴルと日本はどちらも朝鮮半島を侵略したよね-と苦笑いのひととき。

旅芸人、放浪芸は歓迎されるばかりではなく、嫌われもする。「正体不明」「うさんくさい」「いかがわしい」「怪しい」持ち味が、旅芸人のプライドでもある。共に笑いあうことで地元の人たちに溶け込みたい気持ちの一方、定住者に嫌味や反発を与える存在でもありたいとも願う。だから、荒唐無稽、奇想天外の話が似合うのだ。

どんな理由であれ、地元民が拒否するなら、旅芸人は引き下がるしかない。「出会い」があれば行かせてもらう。「やれ」と言われればやりましょう。「冷たい目」で見られれば、さようなら。これは旅の作法。

だからこそ、旅芸人は、まずは「押しの一手」で初めての場に乗り込む。延安は日中戦争当時の中国共産党根拠地。霧社は抗日蜂起の現場。その地を空爆や山狩りで襲った日本軍。その記憶が強い地に、お笑い芸人として地元の小学校に乗り込む。「兵士でない、弾圧者でない日本人」として乗り込む。「お笑い」をふりまく「ちゃらんぽらんの日本人」もいることを、わが身で見せるのだ-との心意気。

親や学校の先生が歓迎しない「いたずらっ子」を、子どもたちは面白がる。

漫画紙芝居の主人公、小学生の「チョンちゃん」は、おっちょこちょいでちゃらんぽらん、食いしん坊で欲ばり坊主、いたずらゴコロを全開し、やりたいことをやってのけ、大人の批判に聞く耳持たず。

こんな主人公が、アジアの子どもたちに大人気。勉強嫌いのチョンちゃんに小学生は共感しながら、いたずらの失敗振りに笑いこける。

紙芝居屋は、受験戦争、出世競争の今の世に、「成績や出世がナンボのもんじゃい!」と啖呵をきる。だって、紙芝居に出る悪者は、権力欲や金銭欲にまみれた出世組の「エライさん」ばかりなのだ。「そんなヤツらに負けるな。少年少女よ!」と紙芝居屋は、声を大にして、時には声を小にしてこっそりと、子どもを励ます。

正体不明の紙芝居屋も、「大人社会の落ちこぼれ」かもしれぬ。「落ちこぼれが、ナンボのもんじゃい!」-笑って生きれば、人生最上。紙芝居屋の存在自体が子どもを励ます。

蜜蜂の羽音-日本では「ブン、ブン、ブン」、韓国では「ウィン、ウィン、ウィン」、台湾では「ウォン、ウォン、ウォン」-答えは一つじゃないのだよ。

答えを一つにしたがる「学校教育」や「国」やそして「大人」に、巻き込まれるな! 

さすらう旅芸人が振りまくことができるのは、「自由気ままな楽しさ」を今ここで実現しようとの呼びかけと、少しばかりの毒気だけ。今日もさすらい、新たな地を目指す。

「さあ、紙芝居が始まるぞ。集まれ、楽しめ、いっしょに笑おう」

鈴木 常勝 (スズキ ツネカツ)

1973年、学生アルバイトとして紙芝居屋を始める。大阪市立大学文学部修士課程修了。1982年から85年にかけて中国に留学。街頭で日本の紙芝居を実演、人気を博す。著書に『上海コロッケ横丁』『上海裏町ブギウギ』(新泉社)、『メディアとしての紙芝居』(久山社)など。紙芝居屋のかたわら、立命館大学・愛知大学で講師をつとめる。