ヒップホップダンスで自然な国際交流を愉しむアメリカ人留学生

クロさんの誕生日

アメリカのイエール大学コンピューターサイエンス専攻(アレゴリズムの研究)を3年生まで終え、その後の留学のために休学期間が制限期間よりも長くなったので一応は退学したが、8月に日本留学を切り上げて帰国後に復学して1年間の勉強後に卒業の予定。


韓国留学の予行演習

1920~30年代に脳神経科の医師として、また探検家として東アジア各地で活躍していたイエール大学の卒業生が設立したライト財団、その奨学金(東アジアの語学)で、先ずは3カ月間、ソウルで韓国語の勉強をした。韓国にはその頃、自分と同じようなイエール大学の学生が13名、留学していた。

しかし、当時の僕はまだ観光気分だった。宿舎は新村の「考試院」で一月20万ウオンと、すごく安いところだった。その近くにあった西江大学の韓国語学堂に通い、同級の日本人の友達とは韓国語の片言で会話し、済州などにも旅行した。アメリカではバレエ、ジャズダンス、タップダンスなどいろんな舞踊の経験があったので、ソウル滞在の最後の頃には、あるヒップホップダンスの教室を訪れてみた。

本格的な韓国留学-ソウルのヒップホップダンスとの出会い

3か月後には一旦アメリカに戻って、大学で改めて韓国語の勉強に励んだ。そして、今度は1年の予定で韓国へ留学した。韓国人の中に入って一緒に過ごし、韓国社会、文化の理解に努めた。その一環として、前に一度訪問したことのあるヒップホップダンスの教室へ行ってみたところ、自分の顔と名前まで憶えていてくれて、レッスンを受けることになった。

先生の芸名はSTAGGER、かつて「stagger(ふらふらしている)」と仲間たちに揶揄され、その揶揄の呼称を自ら引き受けて名乗るようになったらしい。

有名なダンサーであるKmanとも親しく、韓国のヒップホップダンス界をリードしている。一般にダンスをする人は禁欲的で、ドラッグや酒を飲まないような気がする。少なくとも自分が知っている人たちはそうである。それに韓国のヒップホップダンスは「地下文化」などとも呼ばれて、テレビなどでのK-popのカルチャー界には参加していないので、一般にはあまり知られず商業化していない。

奨学金とヒップホップダンスなどの文化(ポップカルチャー)

僕が採択されたライト財団の奨学金は、机にしがみついて勉強して良い成績を目指すのではなく、現地の人々の中に入って、その文化と共に語学の習得を目指すように指導している。その意味ではダンスも留学の目的に叶っている。その財団の設立者が西洋と東アジアの人々との関係を重視し、財団の奨学金の趣旨が、言語、文化、人間、活動を通して深く言語を習得することであり、ペーパーテストの成績も、(A)ではなく、それより一段下の(B+)程度で十分で、現地の人々と親しみ、文化を体感することが目標とされている。

ダンス教室では、プロを目指す高校生その他と一緒に、夜中の12時から5時までぶっ続けのレッスンが週に1回、そして次の回までに難しい宿題があるので、それをこなすには厳しい練習が必要である。新しい動きに慣れて習得するための練習はなかなかきつかった。

その教室には「ファミリー」と呼ばれる制度があって、その一員になるとカカオトークの仲間に入って、スタジオの掃除などをする代わりに、いつでもスタジオで自由に練習できるようになる。普通、午後5時くらいまで、3つの練習ホールが空いていて、それを自由に利用できた。

高麗大学で8カ月半学んだ。その後の2か月半は、ダンスがスタジオが建国大学の近くにあったので、その近くの安い考試院に宿舎を移して、ダンスの練習に励んだ。

ヒップホップダンスはタイミングが大事で、リズムに乗ってさえおれば、動きは自由である。自分のイメージ通りの表現をすることが大切で、それが出来たときはとてつもない高揚感が得られる。

僕が通っていた教室では高校生、大学生、社会人、専門学校生などが中心で、プロを目指している子が多かった。最後の一週間はいろいろと送別会をしてくれた。先生に、今度は日本に留学して日本語を学ぶ傍ら、日本のヒップホップダンスも学びたいと言うと、日本では大阪ミナミのヒップホップが面白いと言われた。ソウルや大阪のダンスはMariah Careyのバックダンサーのような90年代のアメリカのそれに似ていて、そんなダンスは今のアメリカでは全く見られなくなっている。大阪のダンスはヨーロッパ流でもなくアメリカ流でもない独自なものである。

日本留学と決断

アメリカに戻って復学して1年勉強した。そして日本語の授業も受けた。日本への留学のために奨学金を申請したが、既に1年半の留学を済ませているので、あと半年分しか留学の権利がなかった。それをさらに延期するなら休学では済まず、退学の必要があるというので迷った。しかし、大学の先生方に希望を伝えて善処をお願いしたところ、たとえ退学しても復学は十分に可能と言うので、一年の予定で大阪に来た。但し、奨学金は半年分しかなかった。そこで改めてライト財団の奨学金の申請をしたところ、奨学金の委員会が僕の例外的な状況を理解してくれて、あと半年分の奨学金を与えてくれました。

日本での生活

日本語の勉強は大阪学院大学のCETプログラムで8か月間だった。その間に、心斎橋のスタジオに通ったが、勉強が忙しくて、まったく行けない時期もあった。

また先に触れた語学プログラムの授業の一環で、好きなテーマを選んで調査・研究して発表する必要があったので、自分は在日のことをテーマとして深層調査することにした。宿舎の近くにあった北大阪朝鮮学校にも行ったし、日本人たちにもインタビューしたが、その中には朝鮮人が嫌いと公言する人などもいた。様々な人を紹介されてインタビューして、第三者として在日について考察し、それらを資料として口頭発表した(10分発表、10分質疑応答)が、その中に石橋在住のぺさんという女性がいて、そのぺさんを通じてセッパラム文庫の藤井幸之助さんと知り合った。そして、残された2か月間の大阪滞在中はセッパラム文庫の3階に住ませてもらい、難波・心斎橋・梅田のヒップホップダンスのイベントに自転車で通っている。

ここ(天王寺区にあるセッパラム文庫)からだと、自転車で難波や心斎橋や梅田まで通えるので、お金の節約になる。以前は大阪学院大学(吹田市)に近い相川に住んでいたから、そこから難波や心斎橋までだと交通費が高くついて、なかなか行けなかったので、今はずいぶん助かっている。

今後の展望

6月の末に日本語能力試験があるので、現在はそれに集中してダンスはお預け。でもそれが終われば、ハウスダンスをやるつもりである。それはストリートダンスの一つで、即興的なもので、昔から戸外やクラブでやっていたもののモダン版である。僕はハウスダンスについては超初心者として楽しんでいる。そして子供の頃にしていたタップダンスの練習も始めた。

卒業して就職しても、生活のために昼は仕事に集中しても、夜は自分の趣味、例えばダンスなどに真剣に取り組みたいと思っている。そんなことができる会社に入るか、或いは、大学院に進学する可能性もある。仕事ばかりの会社には入りたくない。生活には仕事以外で気持ちを打ち込めるものが絶対に必要だと思っている。

家族との関係など

留学については両親は奨学金のおかげで反対しなかったし、週に4,5回、カオトークやフェイスブックで連絡をとっているから、安心している。妹も州立大学を休学してスペインで働きながらスペイン語の勉強をしていて、すごくスペイン語が上手で、将来はスペインで生活することも考えている。僕はアトランタ出身だが、父はフロリダ州生まれ育ったからかすごく寒がりで、今はフロリダに引っ越して暮らしている。

韓国と日本の若者たちの印象

韓国と日本の若者に関する僕の印象なのですが、僕が韓国や日本で一番よく付き合った若者達はダンサーなので、韓国や日本の若者の「代表的なサンプル」については話せない。僕が知っている韓国人や日本人のダンサーの「音楽が大好きで真剣に練習する姿勢がある」という点は、アメリカ人のストリートダンサーと共通している。但し、その程度のことでは日本や韓国の若者の特徴については何も言えない。ただし、スタジオに先生が急に入ってきた場合、その時までかっこよく踊っていた韓国や日本のヒップホップダンサーなら、動きを止めて、丁寧に挨拶します。そんなシーン等は、欧米と全く違う点です。

韓国と日本の若者の相違点としては、政治に対する姿勢が挙げられるかもしれない。僕の韓国人の友達は日本人の友達と同じように、あまり政治のことを気にしません。でも、少なくとも朴槿恵、そして竹島(韓国では独島)といった話題については強い意見を持っていて、日常生活でもその件について話すことがたまにありました。そして例えば、朴槿恵に対しては、例外なく猛反対でした。とはいえ、竹島(独島)のことなんか全然気にしない韓国のダンサーの友達もいるので、韓国の若者全員がそうであるわけではありません。

インタビューを終えて

イエール大学のライト財団に限られたものかもしれないが、その奨学金の趣旨と実際的運用に見られる懐の深さに驚いた。それがアメリカの懐の深さの表れなのか、或いは、アメリカでも特殊なものなのかは判断がつかないが。

そしてこれまたアメリカでも特殊な例なのかもしれないが、Jakeさんの韓国語と日本語の見事さ、語学の学びと社会や人間の学びに対する、実に正統的で実践的な考え方とその成果に驚いた。例えば、日本語の小説を日本人と同じように読みたいと言う。長い道のりかもしれないが、そういう意思だけでも得難いものである。そして実際に彼が書く日本語を読んでみると、それは夢ではないかもしれないと思った。

一番驚いたのは、Jakeさんの考え方の自由さと堅実さである。職業のような公的な活動とは別個に、しっかりと私的な領域を生きるという意思、例えば、生計を立てるために懸命に仕事はするとしても、それと同時に趣味の領域においても懸命に続けていきたいという言葉を聞いて、僕などが長い人生をかけて、やっと気づいたことをこの20歳になったばかりの青年が見事に言ってのけることに驚いた。すごい。こんな若者たちの国境を超えた自然な交流がもっと進むことを期待したい。