東アジア文化都市京都協賛

류코쿠뮤지엄1

龍谷大学ミュージアム「仏教の思想と文化―インドから日本へ」第1期 訪問記


今回の東アジア文化都市協賛イベント記事は、京都の龍谷大学ミュージアムの「仏教の思想と文化―インドから日本へ」第1期の訪問記である。このミュージアムも前回の高麗美術館と同じく、小規模で相当に異色の、言わば「こだわりの空間」という点ではよく似ている。但し、両者の展示については、前回が現代のせいぜい過去30年ほどのスパンの、それも日本の京都に焦点化した展示だったのに対し、今回は時代も地域もその壮大さにおいて歴然とした差異がある。とは言え、前者もまた深い意味では古代史とアジアを視野に取り込んだ展示であったのだから、表面的な時代や地域の大小の違いなど、実はたいした意味がない。両者ともに人々に浮ついた興奮を惹起するような類のものではないが、地味で真面目な展示の魅力が、徐々に観覧客の肌に染み入り、ついには深い満足感を引き起こす空間である。

近年の日本の博物館、美術館展示は日本主義的な色合いが勝っているような「偏見」を何故かしら抱いていたが、ここの展示はその臭みが殆どない。長い歴史におけるアジア全域にわたる宗教そして文化の伝播、さらには文化の相互性のようなものが丁寧に表現されている。美術館、博物館というものは元来そうあるべきなのだろう。ところが、世界の情勢の不安定さのせいもあって、そうした長くたゆまない人間の営みへの敬意を失って、短絡的に自己肯定に埋没する傾向を強めている。そうした風潮がいかに無意味なことかを、このミュージアムの展示を眺めながら、今さらのように痛感した。

観光立国その他の、経済絡みのスローガンが声高に叫ばれる一方で、観光、そしてその内実である文化の貴重なコンテンツの一つであるはずの静寂もしくは心の平穏は忘れられがちである。人々が我先にと何もかも漁るようにして駆け回るような観光地の姿、そんな雰囲気はこのミュージアムとは無縁である。さすがに「お寺さん」の仕事だと感心した。

そうなのである。久しぶりに訪れた西本願寺界隈は、まさに本願寺の街。正門とその横で金色に輝く唐門、その前の大きな堀川通越しの真向かいには、いかにも京都らしい落ち着いた装いの現代的な龍谷大学ミュージアムが静かに佇む。そこからは見えないが、西本願寺の裏側には、僕もよく研究会などでお世話になる龍大大宮学舎が、これまた由緒正しく、学究の空間として人々に静かで深い思考を促しているはずである。

 ミュージアムの入り口は地下にあり、エスカレターに乗って降りていくことができる。規模は全く異なるが、パリのルーブル美術館の地下エントランスを連想した。地下に潜ることは、この慌ただしい社会からはいったん切れて、私たちの地下の世界、或いは内面の世界への沈殿するための一種の通過儀礼なのかもしれない。但し、ルーブルの巨大さはいかにも西洋風で僕を圧倒するのに対して、こちらのミュージアムの控えめな様子は、まさに僕の器量にあっていて、気楽にそして自分なりのやり方で雰囲気を楽しめそうな予感がした。

受け付けで尋ねてみると、創立は2011年ということだった。道理で、清潔感があり、それでいてキンピカイメージではない落ち着きが、随所で演出されている。エレベーターで2階と3階に昇れば展示室と教えられて、すぐさま昇ってみた。

仏教の歴史が実にこのコンパクトに紹介されて、展示されている仏像その他もすべて小ぶりで、掌に載せることができそうなものが多くて、これまた僕を喜ばせる。

インドに始まった仏教が様々な分裂なども経ながら、時代や地域その他の状況に合わせて変化しながら世界に広がってきた。、そんな長くて多様な歴史過程が実にクリアーでコンパクトに紹介されている。その分、難しそうな細部の情報はあまり与えられない。しかし、仏教の伝播の歴史は、決して形而上だけの、思想自体として自閉したものではなく、形而下の問題、例えば、地域の政治、経済、権力その他と密接に関連していたことが分る。

因みに、このミュージアムのスポンサーの大元である西本願寺を現在の場所に寄進したのは、当時の大権力者である豊臣秀吉だった。宗教が時の政治や権力とは無縁のニュートラルなものではない。そうした事実をそれとなく思い起こさせながら、心の平安をもたらす精神的価値としての宗教という核心が、押しつけがましくなく紹介されている。仏教の真価を紹介し、それを広めるための展示であっても、そうした意図があまりにストレートに、自己顕示的にならないほうが効果的だからといった慎重な計算も作用しているのだろう。それに加えて、展示の任に当たった学芸員など関係者の学問的誠実さというものもあるのだろう。さらに言えば、先にも触れた「お寺さんの余裕」、つまり西本願寺の長い伝統で培われてきた余裕といったものも大きく作用しているのだろう。


総勢がせいぜい30名足らずの観覧客の中には西洋人の姿もちらほらなのに、展示物の紹介が日本語だけでなされていて、非・日本人の場合にはよほどの専門家でもなければ、何が何か分からないのではないかと気にかかった。しかし、多くの観覧客にとって大事なのは、個々の歴史的事実と言うよりも、展示を含めたこの場の雰囲気といったものなのかもしれないと思いなおした。心が休まる空間なのである。

今回、僕が最も興味を惹かれたのは、3階展示室の横に位置する映像室で30分間隔で上映されていた2本の動画である。一つは西本願寺の障壁画の修復作業に関わるもの、もう一つは中国トルファン(シルクロードの要衝地)に位置するべゼクリク石窟の壁画の修復に関わるもので、どちらも⒑分程度のものだったが、このミュージアムとその母体となっている龍大、そしてそのまた母体となっている西本願寺の底力をまざまざと感じた。

ここでは紙幅の事情もあって、後者についてだけ、少し立ち入って説明しておきたい。この動画と、そうして復元された壁画を模した展示に遭遇しただけでも、僕は遠い京都にまで足を運んだ甲斐があった。

シルクロードで有名な中国トルファンの山岳地帯に、数多くの石窟の中に壮大な仏教壁画が数多く描かれていた。その壁画を100年ほど間に、世界の列強(日本もその一つ)による探検隊が我先にと、その一部を自国に持ち帰り、今やそこにはその痕跡がほとんどない。持ち帰るに際しては、社会状況の荒廃による仏教遺産の消失の危険から救いだすためという立派な口実があったらしいが、僕などは素直に信じる気にはなれない。それはともかく、石窟を埋めていた壮大な壁画はばらばらにされて、世界の各地に散逸してしまったのである。

このたび、NHKと龍谷大学とが共同で、そんな石窟壁画の原型を調べ上げたうえで復元作業を始めた。そして尖端的な科学技術を駆使して、そのディジタル復元作業にほぼ成功したというのである。

因みに、調査の結果として判明した散逸場所が、植民地主義が隆盛を誇っていた時代状況を垣間見せてくれる。日本の大谷探検隊が持ち帰った壁画の断片は、当時、日本の植民地であった韓国の中央博物館に、イギリスが持ち帰ったはずのものが、これまた当時はイギリスの植民地であったインドの博物館にあるというように、世界の植民地主義の痕跡が明らかになった。それらを持ち帰った各国の探検隊の人たちは、純粋に仏教遺産を救い出したいと考えたのかもしれない。しかし、そうした個人の良心や善意などを飲み込み、それを活用して敢行されるのが、国家的プロジェクトとしての植民地主義というものである。

見方によっては純粋な、或いは見方を変えれば野蛮な、そうした文化財の救出或いは破壊行為を、それから100年も経った時点でのプロジェクトが、少しは修復したことになるのかもしれない。ともかく、復元作業の過程で文化というものの政治性をはしなくも露呈させたと言えるだろう。

しかも、現在の科学技術の粋を発揮して復元された壁画の姿こそはまさに、植民地主義と対抗し、その犯罪性を指弾するようなユートピアであった。そこに描かれていたのは、シルクロードの要衝の地であるトルファンの多民族共生の姿であり、釈迦に象徴されるそれら人々の平和、共存、繁栄、そして無垢な想いであった。その言わばレプリカにお目にかかれたのは、偶然ながら、本当に幸いなことであった。


外の蒸し暑さとは打って変わってよく冷房が効いた展示室、その落差もあって、体の芯まですっかり冷え切って、長居はほどほどにして退散せざるを得なかった。しかし、遠路はるばるやって来たからには、西本願寺にもお参りするのが礼儀だろう。それにまた、宗教心などとは無縁の僕のような者でも、人混みと喧騒とは別世界のこの界隈、とりわけ境内の清楚で静謐をたたえた伽藍などを見物がてら歩きまわるのは、精神の安らぎとなる。靴を脱ぎ、伽藍の薄暗い内部に目を凝らし、やがて、僧侶の講話らしき声が聞こえて来た。そして耳を澄まし、眼をこらしていると、人間の果てない我欲についての話に熱心に耳を傾けながら座している宗徒たちの姿が暗闇の中ら浮かび上がってきた。悪くはないなあ、と思った。

京都はどこに行っても観光客で満杯というイメージをもっていたのだが、ここはそれとは全く趣が異なる。お寺さんにもいろいろあるが、ここではさすがに僕なりに清々しい気持ちになれた。