孔子、啓蒙の光

Voltaire

ワシントンD.C.のアメリカ合衆国最高裁判所ビルに、古代中国の孔子像が彫刻されている。このことを知る人は多くないだろう。人からそんなことを教えられても、「本当?」と、信じられない表情を浮かべる人が多いだろう。アメリカ民主主義の最後の砦とも言うべき建物に、なんと孔子像が!孔子と民主主義とのそんな関わりに、首を傾げる人も少なくないだろうし、孔子とアメリカ民主主義とが深くつながっていそうな様子に、戸惑いを感じるかもしれない。しかし、疑問に思えば、今すぐグーグルで「US supreme court Confucius」を検索すれば、その真偽など容易く確認できる。建物の正面ではないから、訪問者は気づかずに通り過ぎてしまいがちといった説明とともに、その建物東側の三角形の壁面に、人類史の代表的な立法者の一人として、孔子がモーセやソロンと一緒に彫刻されている写真を目にするだろう。


その程度ではない。まだまだ驚くべきことがある。デーブ・ワン(Dave Wang)博士によると、アメリカ合衆国建国の父の一人で100ドル紙幣の人物でもあるフランクリン(Benjamin Franklin)は、彼自身が発行していた『ペンシルバニア・ガゼット(Pennsylvania Gazette)』紙に、孔子の道徳哲学についてのエッセイを載せて、孔子を称えていた。フランクリンはまた、キリスト教の伝道者として有名なホワイトフィールド(Whitefield)へ送った手紙のなかで、「孔子は私の模範であった。私は孔子の教えに従った」と衝撃的な告白をしていた。


それだけではない。シカゴ大学の中国学教授だったクリール(H. G. Creel)によると、アメリカ独立宣言書の草案を書き、アメリカ民主主義の理論家でもあるジェファーソン(Thomas Jefferson)も、孔子その他の中国の古人から少なからぬ影響を受けていた。とくに、ジェファーソンが生涯にわたって心血を注いで推進していた普通教育、それに対する愛着は、他でもなく中国の古人たち影響がもたらしたものなのである。ジェファーソンが1779年バージニア州下院に普通教育に関する法案を提出した際に、彼はすでに当代中国の教育制度と科挙制度の偉大さと優秀性に対して深い知識を備え、その検討を終えていたのだと、クリールは断言する。門閥と財産にかかわらず、国家が全国民に教育の機会を提供したうえで、優秀な人材を試験で選抜し、その人たちを中心に政府を構成してこそ民主主義を守ることができると信じたジェファーソンの哲学自体が、実は孔子や中国に関する学習で培養されたはずだと言うのである。

さらに衝撃的なのは、フランクリンとジェファーソンのそのような哲学的変貌の背景には、孔子と中国に熱狂していたフランス啓蒙主義が深くかかわっていたという点である。フランス啓蒙主義がアメリカの独立運動と建国に大きな影響を与えたといったことはある程度知られてはいる。だが、フランス啓蒙主義哲学と孔子が深くかかわっていただけでなく、フランス啓蒙主義の哲学者たちが孔子と当代中国を憧憬し羨望していたというのだから、これはまさに驚くべきことである。

このような側面の優れた例証が、フランス啓蒙主義運動の寵児と呼ばれるヴォルテール(Voltaire)の場合である。ヴォルテールは、ほぼ二世紀にかけてカソリックとプロテスタントとの迫害、弾圧、戦争など、血が染みついたフランス社会に向けて、宗教的寛容と共存を力説した哲学者として有名である。ところが、黄台淵教授によると、ヴォルテールが、フランスひいてはヨーロッパを宗教的独断の眠りから目を覚まさせるために用いた「光」というものは、彼が人類の偉大なる師と敬い、その肖像画をかけて日々拝礼していた孔子と中国の制度だったのである。だからこそ、彼は道徳問題に対しては、「ヨーロッパ人は中国人の弟子になるべきだ」と主張したわけである。中国の悲劇”The Orphan of Zhao”をヴォルテールが戯曲” L’Orphelin de la Chine(The Orphan of China)”に翻案した背景は、実はそうした事実にあった。それだけではない。ヴォルテールは、君主の恣意的統治を制限し、政府を国民のための政府にすべきだという孔子の政治哲学にも賛辞を送り、「孔子が提示した法に従う時代」こそ、人類の歴史のなかで最も幸せで最も尊敬に値する時代だとして、最大限の敬意を表した。


そしてもう一人、近代政治経済学の口火を切った中農主義学派の創始者、フランソワ・ケネー(François Quesnay)もまた、ボルテールに匹敵する。ケネーの著述は、市場経済理論を確立したアダム・スミス(Adam Smith)や左派経済学の泰斗であるマルクス(Karl Marx)にも重要な影響を及ぼしたことはよく知られている。ところが、ウォルター・デイビス(Walter W. Davis)教授によると、「中国がケネーのモデルだった」。ケネーは、市場の円滑な流通を可能にする経済的自由、重商主義的な独占や特権を持続してきた政府の不干渉、過酷な税金制度の改革などの発想のすべてを、孔子と中国から学んだということを彼自身の最後の著書のなかで告白している。ケネーの弟子たちはその師匠を「ヨーロッパの孔子」と呼んだほどである。

フランス啓蒙主義の代表的な二人の哲学者において、孔子がどのような位置を占めていたかが十分に推測できるだろう。上で触れたクリールによると、ケネーの家で泊まったフランクリンは、ケネーに従う多くのパリの人士たちと学問的雰囲気が充満した交流をし、ヴォルテールの論著をジェファーソンが熱心に読み、そして詳細に注釈を付けていたのだという。以上で、孔子とアメリカの独立や建国、そしてアメリカ民主主義と孔子とが無関係であるどころではないこと、それどころか、最も重要な関係だったかもしれないこと、したがって、冒頭で言及したアメリカ合衆国最高裁判所の建物に彫刻された孔子像は、そうした関係を象徴するものでもあることが納得できるのではなかろうか。

最後に、一言付け加えると、ヴォルテールとケネーに見られる孔子への尊敬や羨望は、フランスではその人たちに限られたものではなかったし、さらには、それがフランスに限られたものでもなかったのである。20世紀初半ドイツの経済学者、アドルフ・ライヒバイン(Adolf Reichwein)によると、西欧の啓蒙主義は「孔子の中国以外には関心をもっていなかった」と言っても過言ではないほどに、「孔子は啓蒙主義の守護聖人」だったのである。

今日では常識になっている自由、平等、民主などの理念、それを培養しはじめた啓蒙主義時代が本当にそうした状況だった言うのであれば、それを受けて数多くの疑問が頭をもたげる。これまで当然のように見なしてきた歴史的、哲学的な「常識」に対して大きな留保を施して、より完全な歴史像や哲学の確立のために人類史の再探索に進まざるをえない地点に、我々は立っているのかもしれない。本文はそうした新しい知的航海に旅立つための初レポートである。