ジャズの街・神戸の真夏のオアシス―神戸ジャズフェスティバル2017

3. 공연리뷰 고베재즈페스티벌


伝統を誇るジャズの街・神戸

真夏の昼下がりに神戸の中心である三宮の、そのまた中心に位置し、関西を代表するコンサートホール国際会館こくさいホールに足を運んだ。神戸に転居してまだ2年にも満たない新参者の僕でも、神戸が昔から日本有数のジャズの街で、ジャズストリートなどジャズ関連の数々のイベントが催されていること、そして、その中心には小曾根ファミリーがどっかりと腰を据えて、神戸をもとより日本全体のジャズのすそ野を広げると同時に、志を持った若いジャズマンを海外に送り出してそのレベルの向上に貢献しているということくらいは知っていた。しかも、はるか昔には、その御大将である小曾根実さんが経営するジャズのライブバーに立ち寄ったこともある。

だから、そんな神戸のジャズ界の盛況の片鱗を、たった2600円という安価で楽しめるのだから、期待に胸を膨らませて、うだるような真夏のお昼に、足を速めた。そしてなるほど、始めから終わりまで、期待が裏切られることはなかった。それどころか、ジャズその他の音楽コンサートで、ジャズの力ばかりか幅広い可能性をこれほど思い知らされたことはないほどだった。時には静かに、また時には興奮しながら、殆ど時が経つのを忘れて2時間余りを過ごした。舞台上の演奏者や他の観客との「同調、阿り」といった無意味な気遣いなどからはすっかり解放されて、猛暑の午後のひと時のオアシスを堪能させてもらったのである。

2.オードブル:第一部

第一部は若手のカルテットによる、スタンダードナンバーの清新なエネルギーあふれる演奏だった。そのリーダーが女性サックス奏者辻川さんで、少し挑戦的に見えるセクシーな服装と体つきと動き、そしてそれにふさわしい情熱的な演奏でリードし、ピアノはそのリードを受けるばかりか、2000人を越える超満員の観客を前にして演奏する喜びを体全体で表現し、椅子から尻を浮かせながら曲に乗ると同時に、曲の乗りを高めていた。ベースはいかにもベースらしい落ち着きを示しながらも、時には若々しい茶目っ気ものぞかす。そしてドラムスがまた、若々しさと粋さの微妙なバランスを醸し出す快い演奏で、前座だからと少し気を抜いていた僕も思わず身を乗り出した。

途中から女性のボーカルが加わると、そのカルテットが創り上げていたバランスというかチーム感覚が、少し乱れそうな危惧も兆した。見るからに年長の女性ボーカリストの姉御に若いカルテットが遠慮している気配もあって、それまでの固有の自在さが身を潜める感じが否めなかったのである。しかし、しばらくするとそれも気にならなくなった。すっかり自分たちのペースを取りもどし、それなりのジョイントの妙味を醸しだした。
予めラジオ放送などでのアンケートに基づいて選曲されたジャズの名曲の数々ということもあって、立ち見の観客も含めて老若男女2000余名の多様な観客を楽しませ、メインである二部への期待を掻き立てた。前座としての役割は十二分に果たしていた。

3.メインディッシュ・第二部

20分の休憩をはさんで二部が始まった。神戸の名物アナウンサーである三浦アナの紹介で現れた3人の小曾根一家。
昔はジャズばかりか、軽妙なおしゃべりとその優男のルックスでテレビでも人気者だった実さんも、今や83歳のゴッドファーザー。それでも長年の経験の賜物か、或いは持って生まれた味なのか、随所でボヤキと小話を繰りだして、会場全体をなんともアットホームなものにする。そのオルガン演奏も、覚束ない足取りからは想像もつかないほどにナチュラルで、軽やか。

ファミリーとは言っても、実際の血縁関係は実さん、そして二人の息子さんの三人だけである。それ以外の方々は長年のグループ仲間のサポートも受け、そこに有望な新人も引き込んで訓練の場を提供すると同時にグループに刺激を与えるなど、まさに開放的で生きている小曾根ジャズファミリーなのである。
それだけに、親子三人の楽器と口やしぐさによる息の合ったやりとり、そこにベーシストとドラムスの長年の仲間二人が加わって、随所で互いの信頼感が如実な引き立てあい、さらには今回初めて加わったらしい若手のトランぺッターのいかにも若者らしく懸命で若々しい演奏など、それぞれが、そしてトータルの両方が実に魅力的だった。

但し、主役はもちろん、ジャズ界ばかりか、その他のジャンルにも積極的に挑戦し、世界的に活躍している真さんである。ジャズピアノとオルガンの演奏はもとより、ジャンル横断的な作曲の才能の片鱗を十分に聞かせてもらった。

先ずは、近年に亡くなった叔父を悼んで作ったという曲。僕などは、追悼曲と聞けばついつい何か湿潤な感傷を想像してしまう頭が固い人間なのだが、曲が始まるや否や、僕の型通りの予想は完全に肩透かしを食らった。なんとも軽くお洒落なワルツ風に始まったのだが、途中からは完全に変調され、ベテランベース奏者を試でもするかのような、そしてその能力ぎりぎりの技を発揮させるような超難解な曲になった。ベーシストはその挑戦を受けて、超絶技巧で格闘を続け、無事に演奏を終えると、真さんと二人でなんとも言えない表情のやりとりで、達成感を愉しんでいる様子だった。亡き人を悼む気持ちがこんな軽妙さと音楽の極致のような技巧の世界に昇華されるものなのか、亡くなった叔父さんがあの世で、「ようやるなあ、真ちゃん」と感心しながら楽しんでいるに違いないと思った。

次いでは、「プリンセス・リリー」と題された曲である。弟のひろしさんの種明かしによると、真さんの奥さんの名前がユリで、その奥さんのことを、クラシカルなジャズ曲にしたらしい。ところが、これも最初はなるほどその名にふさわしく優雅で、クラシックであり、それと同時に、なるほどジャズである。ところがそれが途中からは、ファンクになった。ビートが効いているどころか、全くのビートの世界である。ファンクはダンスの為の音楽らしいが。このファンクはまさにそうである。但し、ダンスしているのは演奏者たちである。あの端正なピアノ弾きの真さんが、今度はオルガンの前で全身でダンスしながら演奏している。しかも、それで終わりではない。そのファンクの世界がいきなりバッハの教会音楽のような荘厳な調べに変調する。オルガンの可能性をすべて試し、堪能させてもらえた。

このように、第一部でのスタンダードナンバーの魅力から、二部における、いかにもジャズらしく即興性を随所に交えながらも、ジャズのあらゆる可能性を実験し、観客と演奏者が共に楽しめる時空が2時間以上にわたって続いたのである。本当に幸運だった。煩わしいことが大の苦手で、コンサートに足を運ぶことももちろん、いい席を確保するためにチケットを早めに購入するなど全くできない僕に代わって、その労をとってくれた妻に心から感謝の気持ちになった。

4.デザート・観客席から

以上、ジャズどころか音楽全般のド素人にすぎない僕が、間違いだらけかもしれないけれども、僕なりの感動を記してきたのだが、実は本当に書きたかったのは、そこで演じられた音楽の質よりもむしろ、そうした主役ではなく、むしろ脇役、つまり観客の皆さんのこと、そしてその人たちが構成する街と音楽、或いは、文化との交わりのことなのである。演奏そのものの魅力もさることながら、観客その他のことで格別な印象を受けたからこそ、記事を書くことが目的ではなくてコンサートに赴いた僕が、この記事を書きたいと思ったのである。

会場に入ってまず僕の目を惹いたのは、車いすの高齢の女性たちの姿である。へえ、ジャズのコンサートにこんな人たちも来るものなんだ、それもそんな人たちが、それぞれは一人でおいでになっている。そんな方が幾人もいる。ホールの職員の方がサポートしていて、その様子も手慣れた感じだった。つまり、そういうことが稀ではないのだろう。嬉しくなってきた。障害を持った人々でも自然に?臆せず、参加したいと思い、参加できるコンサート。しかも、高齢の方々が。さらに言えば、ジャズなのに、高齢の女性がなどと、なんとも時代遅れの固定観念の持ち主である自分に今さらのように驚く僕。

次第に増える観客も、全体として年齢が高い。それ自体はなんてことはないのだが、僕の目を惹いたの、男女の比率が殆ど変わらないことだった。そんなことは他のコンサートでは考えにくいのではなかろうか。男性はせいぜいが2割から3割で、他はすべて女性というのが一般的だろう。それだけでも、すごく異質である。これも長い神戸のジャズの歴史のおかげなのだろう。つまり男女を問わず、幅広いジャズファンの育成に努力してきた様々な人々の長年の努力がもたらした厚み、これが文化の力と言うものなのだろう。

もちろん、小曾根ファミリーのネームブランドもあるのだろう。特に真さんは今や世界レベルの演奏家であり作曲家である。絶えず実験を続ける一方で、先端的な音楽の鑑賞力を備えているわけではなさそうなお客に対しても、配慮を忘れない。お父さんもそうだし、弟さんもそう。各人各様に、多様なお客に対する心遣い、そして演奏者相互の心遣いを忘れない。演奏者個々の魅力を互いに活かしあい、全体のアンサンブル、「のり」を共同で創りだす。何事であれきっと同じことなのだろうが、ジャズはパート同士の表情や体の動き、そして演奏による掛け合いが、観客にもそれと一見して分る雰囲気が大事である。

2000名以上の観客を退屈させず、そしてまた、それくらいの数の観客がいてこそ、このコンサートは生きているという感じだった。ライブハウスの密閉空間にはそれなりの魅力もあるのだろうが、大ホールでジャズを聴き、見ることの醍醐味というものがあるのだと、今回初めて気づかされた。

5.食後酒・文化の受容と根付き

ジャズは今や世界中で、老若を問わず、男女を問わない共有の音楽である。そうしたジャズの世界各地への根付きのために、実に多様な人々が努力してきたのだろう。ジャズの街・神戸はその名を裏切らないすそ野を確保するばかりか、小曽根真さんに代表されるように、ジャズを多様な音楽ジャンルとフュージョンしたり、現代ジャズの先端を突き進む可能性を追求するような人材まで備えるようになった。

「ジャズが神戸の誇り」といったレベルで楽しんでもいいのだろうが、それ以上に、異質な文化の受容と根付きの問題としてその盛況を喜びたいと思った。世界各地で土着であれ、外来なものであれ、ともかく自由に楽しめる文化を摂取して、それを糧にしながら他者とつながっていこうとする人間の素晴らしい営み、つまり文化創造力の一つの現れとして、このジャズフェスティバルの賑わいを理解するべきではなかろうか。特殊でありながら普遍的な音楽であるジャズが人々をつなぐ現場、偶然ながら、そんな場に立ち会えたことは大きな悦びであるとともに、閉塞感を強める政治・社会状況の中で一筋の光を垣間見た気分になれた。ありがたいことである。